街にいると、秋の寂しさを人の往き来で紛らわせる事ができます。
しかし、バーンハイムの森では野鳥のみ。
その、さえずりが胸に響きます。
今日は、11月10日、11日の日記を載せます。
‘06 11月10日
オープニング前日
明日は、ギャラリーのオープニング。ここでのオープニングは天候に左右される。都会で展覧会をする場合でも天候は気になるが、雨の日でも人の出入りはある。
ところが、バーンハイムに関しては、天候で決まってしまう。私も2ヶ月以上こちらで生活し、それがよく分かった。
天候の良い週末の人出は大変なもので、駐車場料金(1日5ドル)だけでも相当な売り上げになる。
しかし、雨の日は全く人がこない。明日はどうも雨になりそう。
天気予報では、午前中に雨、午後から回復ということらしいが、現在、夜中の0時30分。
まだ雨が降っていない。早めに降って、午前中に上がってくれれば、午後1時からのオープニングに間に合うのだが、、、これだけはどうしようもない。
ジュリーと明日の打ち合わせをしようと思っているが、彼女が来ない。ギャラリーでブラブラしていると、野外の仕事をしているエリックたち3人がやって来た。
ここにある、木の種類を知りたいので、聞いてみた。すると、エリックは快く教えてくれた。
Douglas fir(ベイマツ、ダグラスモミ、軽いので塔の上部に使用)
Sycamore(アメリカスズカケ、プラタナス、水を好み、軽い)
White oak
Red oak
Virginia pine
Maple(カエデ)
全てを訳すことができない、日本に帰って専門書で調べるしかない様だ。
エリックが“今日はこれから、草を燃やすんだ。見に来たらいいよ。”と誘ってくれる。
これは、例のアメリカ大陸に自生していた草。ヨーロッパからもちこんだ芝を、元の草に植えかえるプロジェクトの一環である。
毎年この時期に全体の半分を焼く。そして残りの半分は来年焼く。これを交互に繰り返すらしい。
私の住んでいる美山でも春先に川の土手を焼く。これは、虫を退治し、田んぼに来る虫を減らすためと聞いている。
バーンハイムでは秋に行うがその理由を近々聞いてみよう。
(現在、午前1時30分。かみなり共に猛烈な雨が降ってきた。さあ、これが吉とでるか凶とでるか?)
美山の人々は作業着でやっているが、こちらでは全員がオレンジ色の消防士が着るような服にヘルメット姿。肩には噴水機を背負っている。トラックには大きな水を満載したタンクが用意されている。
美山では川がながれ、無尽蔵の水がある。そのため、このような物々しい準備をする必要がない。
燃やし始めその火の生命力に圧倒された。
バチバチという激しい音と共に、強風に煽られ巻上がるような炎。縄文期の火炎土器が生まれる必然性を感じることができた。縄文人もこのようなことをやっていたに違いない。
日本の総面積の12%は植林による人工林。
しかし、戦前は、その12%が茅場であり、里山を形成する上で重要な役割をしていた。小動物の生息の場であり、森と里との緩衝地帯になっていた。
茅は屋根に使われ、葺きかえたあとの古い茅は田畑の肥料になった。
ここからは、全く推測の世界。
自然が豊かで、田んぼがない縄文期は茅場の占める割合が多かったと思う。
そこに火をつける。
これは、壮大な祭りであり、それを司る人物は自然と人間をしっかり掌握しなければならない。
これを昼間におこない、夜は、この人物のかけ声とともに、松明(たいまつ)を囲んで、飲み、食い、踊ったに違いない。その時の供え物に火炎土器もあったのだろう。
写真を撮りに来ていたラルフが、“これは、地表を焼くだけで、根はしっかりしている。ネイテイブアメリカンもやっていたよ”と教えてくれる。
ネイテイブアメリカンがやっていたことは、縄文人の血を引くことの証、そんな気になった。
ギャラリーに戻り、しばらくしてジュリーが来た。
3時を過ぎていた。事故後初めて会うが、思ったより元気で、安心する。
ジュリー宛に来ている日本人学校村上先生からのメールをチェック。
ブログの10月29日“バーンハイム神社”の英語訳をお願いしていたのである。
村上先生はアメリカ人と結婚されており、細かいニュアンスをお二人で上手に訳して戴いた。ありがとうございます。
今回の展覧会で最も大事なこと、それは“バーンハイム神社”の英訳。
もちろんギャラリーの空間も大事であるが、これは、いずれ消滅する。
しかし、言葉は残る。しかも、英文での表現は、理屈から理解するアメリカ人には不可欠。私も、この英文を通して、英語での理解の仕方を勉強してみようと思う。
今度は空間において大事なこと、それは照明。
ジュリーが照明を得意としているので、お任せした。
私はアンダーソンギャラリーでの照明のイメージで、塔の先端にスポットを当てたのだが、彼女は、スポットを直径12フィートの円に収めた。
すると、木の表皮が美しく映え、全体が浮かび上がるようになった。なるほど、たいしたものだ。
もうこれで、大丈夫。明日の天気を祈るのみ。
‘06 11月11日
オープニング
目が覚めると、7時30分。
時間があるので、ベッドの上で操体をする。このベッドはスプリングが硬く寝心地は非常に良い。
うつ伏せになり、ベッドの端まで足を持っていき、マットの角に足首をかける。つま先をゆっくりとスネの方へもっていく(足関節の背屈)。
この時、身体の中心・腰を使って表現する。
これをやっていると、夢か現(うつつ)か分からなくなり、再び
ウトウトし始める。
幼いころ、縁側で日向ぼっこをしながら、ウトウトしていた感覚によく似ている。とにかく気持が良い。
突然、電話の音。
目が覚め、電話口へ走る。予想どおり、間違い電話。このパターンがこれで4回目。
しかし、お陰で10時30分に起きることが出来た。今日は、午後1時から展覧会のオープニングが行われる大事な日。遅刻は許されない。
しかし、残念ながら、外は冷たい雨が降っている。
お客が来ないことは決定的。あきらめのシャワーを浴び、身体を清め出陣する。
家を出るころには、雨は止むが、冬のような寒さは一向に治まらない。しけた海に乗り出す舟のように自転車を漕ぎギャラリーへ向かった。
このような時に来て戴くお客様ほど、有難いものはない。しっかりとしたお持てなしをしなければならない。
正午過ぎに、ジュリーがやってきた。クラッカー、チーズ、フルーツ、煮たマメと野菜のオードブル、ジュース等、かなりある。
それらをテーブルに並べ1時を待つ。
丁度1時に50才半ばと思われる夫婦が来られる。ゆっくり作品を見て戴き、壁に貼った5枚に及ぶ“バーンハイム神社”を読んで戴く。
バーンハイム森林公園内ではアルコールは飲めない。そのためオープニングでも飲みものはジュース。プラスチックのコップにジュースを注ぎ、お渡しする。
様々な質問を受けるが、コンピューター画像で見て戴くのが手っ取り早いので、東京操体フォーラムで使用した映像で、縄文期
の生活品、家、現在の茅葺き民家を説明した。
今度は、過去の作品を見たいとの注文があり、やはりコンピューター画像で見て戴く。過去の作品を写しだしながら、綱渡りの人生を思い出していた。
6年前に芸術の世界から身を引くと決心したとき、資料を全部捨てようと思った。
それを思い止まったのは、子ども達の存在。
父親の仕事をいつか見てもらいたいという気持がどこかにあった。そのおかげで、バーンハイムに来ることができたのである。
子ども達が今の私を導いてくれたことにやっと気づいた。
ありがとう、子ども達。
今日は、父親とこども3人の写真、ナムジュン・パイクさんの“さよならナムジュン・パイク”という本、それから、同門の畠山さんが送って戴いた“操体法生かされし救いの生命観”(橋本敬三先生の未発表原稿特別掲載を含む、三浦寛先生、今昭宏先生、畠山裕美先生の共著)という先月出版された本をギャラリーに置き、見て戴いた。
本当はこれだけで十分なのかも知れない。
結局、3時までに来られた方は9名。
途中で“ヒロム、これ知ってた?”とジュリーの大きな声がこだまする。
見ると、新聞に掲載された私の作品と記事。
この新聞は、最も多く発行されている地方紙。11月5日、日曜版アート部門の表表紙半分以上を占めている。
しかも、著名なミュージシャン2人を隅っこに追いやって、ど真ん中に“神道精神”と掲げられている。
過去に何度か、新聞に取り上げられたことはあったが、これだけ見事にしかもカラーで印刷されたのは初めてである。
こういうときは、素直に母親に見せたいと思う。
また、子ども達がコンピューターでHiromu Saikiを検索すれば、私のことを見つけることが出来ると気が付いた。
これだけ、掲載されても、天候には勝てない。
大自然の法則に左右され、人々は日々の生活を送っていることがよく分かる。
これは操体の理念、人が生きる上での自己責任となる四つの営み、息、食、動、想は環(環境)と同時相関相補に連動する。ということ実証している。
早い話が、“天気が悪いから、行こうとも想わないし、動きたくない!”ということである。
操体の世界を実感しながらのスタートになってしまったが、気分的にはもう終了。
後は、私がいなくなってからの2ヶ月間のシステム作りをするだけである。
ただ、これからの3週間になにが待ち受けているか分からない。
ちょと、期待してみよう!
04 6月15日(スペイン・マジョルカ島)
一点の美
ジョアナから“ヒロム、今晩7時からパーテイーがあるから、来てね。”のお誘いがある。断るわけにはいかない。
私は、ミロ財団から助成金を戴いてマジョルカ島の子供達(814才)に、ワークショップを7月末まで約1ヶ月行なう事になっている。これは、教育部門のBオプションというプログラム。
同部門のAオプションが障害者を対象としたもの。数人の芸術家の指導によりバルセロナで作り上げた作品をスペイン中の美術館で展示する事を活動としたプログラムである。
その最後の活動がミロ財団での展示ということになる。バルセロナからは、作品を出展している障害者の方々も来られている。
7時に会場に行く。財団の関係者数名がいるだけで閑散としている。そのうち、賑やかな独特の雰囲気の集団がやって来た。懐かしい波動を感じる。
私は美山町の育成苑という施設で絵画の指導を4年、滋賀県の湖南病院(精神科)の芸術療法課に2年、看護助手として2年働いた事がある。特に育成苑での体験は貴重な宝物となっている。
東南アジア系の女性が私の顔をみては、ニコニコしながら作品を指さしている。どうやら彼女の作品らしい。ミロの彫刻を模した陶の作品(30cm程の大きさ)が20数点並んでいる。
その中の土色をした清楚な作品である。“ビエン、ビエン、ムイ ビエン”としか私は言えない。彼女はしきりに説明をしているのだが、私はスペイン語を理解できない。
すると、言葉を教えてくれ始める。ゆっくり教えてくれる。もう一人元気のよいピンクのTシャツを着た女性が現れる。今度は、大きな声で教えてくれる。それでも理解できない私を見て、年輩の女性が励ましてくれる。
とにかくやさしい。その横でなにやら気配がする、どうやら、ジョアナが私と彼女達の様子をカメラに納めているらしい。
しばらくすると、眼鏡をかけた細身のハンフリーボガードが現れてきた。とてもこの場には馴染めないベージュ色のスーツと帽子であるが、眼鏡の奥の優しい目がそれを打ち消している。
しきりにミロ財団の関係者と思われる人たちと挨拶をかわしている。そして、私達の方へ近づいてくる。私は相変わらず彼女達にスペイン語を教わっている。
背後でジョアナとハンフリーボガードが私達の会話が終わるのを待っているのが分かる。しかし、彼女達は、一向に教える事を止めようとしない。
ジョアナの“ペルドン、イー、、ヒロム、、”
という例の口調でやっと、会話が止まる。彼女がその紳士を紹介してくれる。
“こちらにこられて、楽しんでられますか?”流暢な英語である。 “マジョルカでの滞在を楽しんで、素晴らしいワークショプになるように、、、”という簡単なしかし、心のこもった言葉を戴く。
紳士の去った後、ジョアナが説明をしてくれる。
“彼がミロのお孫さんで、この財団の隣の家に住んでおられるのよ。そこは、ミロが生活をしていた家だったのよ。”なるほど、、、とうなずく前にミロのお孫さんと握手をし、会話までかわすことが出来たことの喜びのほうが大きく、体の奥から込み上げてくる震えのようなものを感じる。
4年前に私は芸術活動を完全に諦めた。アメリカ、ペンシルベニヤ州に住んでいるころの事である。私はニューヨークのソーホーを歩いていた。1980代前半に住んでいたころとは、様子が一変し、賑やかなファション街になっていた。
以前のような芸術的活気は影をひそめ、ギャラリー(画廊)は巨匠と呼ばれる作家の作品か、技術の卓越した作家のものしか展示いていない。
“これじゃ、いくら絵を描いても生活できない、、、もうそろそろ潮時かな、、、”そんなことを思いながら、とあるギャラリーに足を運ぶ。
まったくセンスというものを感じさせない骨董屋のような展示(というより陳列)のしかたである。その中にミロの絵があった。煤けた茶色と緑を基調とした縦40cm、横60cm位のパッとしない絵である。
よく見ると茶色の色鉛筆で塗られた薄い紙は剥がれ落ちそうで、いかにも雑な印象を与える。落胆してしまう。
しばらくうつむいて立ち止まる。気を取り直して反対の壁にある作品を見に行こうと頭を左方向にあげると、銀の大きな壷が展示されている。
その壷の中央部に直径3cm位の輝くものがある。それは今まで見たもので最も美しいものである。思わず立ち尽す。そして、吸い込まれるように目を近づける、、、、、、“ミロの絵”、、、、、、何と私にあれほど落胆を与えていたミロの絵が銀の壷に映し出されているのである。
思わず戦慄が体中を走り、自己の無能さと芸術の崇高さ、厳しさを思い知らされた。“もういい、天才に芸術は任そう、俺の出番など一つもない。”
あの一瞬ですべてが吹っ切れた。禊ぎを受けたような清々しい気持ちになり、私はある覚悟をする。
“芸術を捨てて、操体を勉強しよう。”
あれから4年、操体の実践が芸術活動であることが分かり、捨てたはずの芸術の世界にどっぷり浸かっていることに気づく。
そして禊をして戴いたミロという神様(実際、あの時言葉ではない言葉を感じた)のお導きにより神様のアトリエで芸術活動が展開でき、お孫さんにまで会える機会を与えて戴く。
離婚という、私の人生の中で最も窮地に追い込まれ、混沌としていた時期に、一点の美が全てを吸い込み、放射状に秩序正しく道を啓示して下さった。
“人生におけるターニングポイント”という言葉が存在するとすれば、まさしくあの時のあの一点の美である。
‘04 6月21日(スペイン・マジョルカ島)
ツナ渡り
6月24日は、サンフォアンというお祭りの日である。
ミロ財団もそれに合わせてコンサート、様々なパフォーマンスそして展示会とかなり大がかりな催し物を行なう。
デイレクターは、2ヶ月前に就任したばかりとあって普段なら24日だけで終わるはずのお祭りに23日、25日もくわえた3日間行なうという張り切りようである。
そのため、財団の職員は大忙し。このことに付きっきりである。わたしのワークショップは28日の月曜から始まる。いまから1週間後。ところがお祭りが23日から3日間、それがおわると26、27日は土日で連休。ということは、21、22日それになんとか25日を入れた3日間が私の準備期間である。
ワークショップでは、従来行なってきた積み木(Building Blocks)という丸太を主とした素材での制作と、正面玄関の大きな窓のような空間(縦4m、横12m)にネットを張り、日本の着物の生地と毛糸を結び付け構成していく空絵(Sky Picture)という新しい試みを行なう。
そして、これらの活動は操体で最も大切にしている原始感覚(快、不快を感じ取る感覚)を体感する事に目標をおいている。そのため、タイトルは”Sotaiart” という目新しいものとなる。
期間は第1グループ6月28日7月9日(10日間)
第2グループ7月19日7月30日(10日間)
時間:10時30分13時30分
対象:8才14才の21名
りっぱなチラシが出来上がり、玄関にも置かれている。参加者も決まりキャンセル待ちの状態。
しかし、準備が全然出来ていない。日本にいる時から考え、こちらで改めて練り直した計画を実行することは、この時点であきらめる。
ワークショップの最終日に結果がでれば良しというレベルに起動修正。こうなったら全て即興である。
石井満隆さんという鬼才の舞踏家がいる。この舞踏家について語り始めると膨大な紙面が必要となるため割愛するが、氏の口癖が“人生はすべて即興である”。この言葉に惹かれ氏のもとで即興を学んだ。
フレンズスポーツクラブでは幼稚園、保育園児を対象とした“体操のおじさん”を職業にした。この時、師匠であるマルちゃん先生(ちなみに私はゴンちゃん先生)からは即興の中に優しさを見い出した。
即興ならば、私の土俵である、とでも思わないとやってられない。
積み木用の薪は一度見に行き、りっぱな仕事師がいることを知っている。大丈夫だ。問題は、空絵用のネットである。
しっかり者のマクもこの事を心配して、“ネットを見に行こう。必ずあるから。”と市内のスポーツ用品店へ連れていってくれる。
しかし、ここには置いていない。次に、ホームセンターへ足を運ぶが、やはりない。
財団事務所へ帰る。しばらく休んでいると、
“あったワ!ここに。”とマクがはずんだ声で教えてくれる。インターネットで検索したようだ。
早速、電話をかけ店に出向くことにする。
私の希望するネットは、縦4m、横7.5mのマス目510cm。素材は綿で白色。
ところがあるのはマス目が3cmのサッカー用ネット。マス目が3cmとは随分小さい。しかも、実際には明日手に入ると言う事である。それでも十分間に合う。明日もう一度来ることで話しがまとまる。
翌日、マク、ジョアナと共に店へ訪れる。出してくれたのは、確かにサッカー用のネットだが、マス目が15cmもある。あれ程念をおして“3cmのマス目?“と確認したのに、、、、店員も非をみとめ草々ネットをかたづける。
それにしても何で3cmのものが15cmになるのか全く分からない。これには、さすがに呆れ果てる。
ところが、同行していたジョアナは慣れたもので、“イー、ヒロム、、黒色のテニス用ネット縦1m横9mというのが2本あるそうだけど、どう?”もうこの際何でもよかった。
“それにする!”今週金曜には、来るそうである。テニス用ネットならば、だいたい想像がつく。なんとかする。
ツナ渡りをしているというより、もうすでにツナは後方から切れてしまい、谷底へまっ逆さまに落ちている感覚である。あとは、いかに対岸へたどり着くかを考えるだけである。
再び、ネットを取りに行く。今度は確かに、マス目の揃ったテニス用のネットが2本ある。しかし、よく見ると素材が微妙に違う。
もうそんな事はどうでもよい。何とか間に合いそうである。この2本のネットで縦2m、横9mの画面を作り、後は展示専門の職人チャビに設置してもらうだけである。
そのチャビは、7月2日から始まる展覧会の準備で大忙し。私の仕事に関わってくれない。この展覧会は世界で最も有名な現代建築の一つであるオーストラリアのシドニーにあるオペラハウスを設計したウッゾンという建築家のものである。
しかし、よく考えてみると6月24日までの大規模な展示を完全に撤去し、7月2日から始まる大規模な展覧会の準備をするのは大変な労力がいる。
これらは世に認められている芸術作品であり損傷は許されない。人の導入にも相当気を使う。それに比べると、ネットの1つや2つなど後回しになるのは当然である。
けれども私は、はるばる日本からやって来ている。それなりのプライドもある。ブザマなものは見せたくない。
チャビに会うたび、笑顔で会話をし、機嫌を損なわないよう、私の仕事を忘れないようサラリと伝えている。
このネットの設置に1つ問題がある。
それは光である。ワークショップの時間帯10:3013:30の間に縦4m、横12mの大きな窓には約1mの幅で光が射し込み、非常に暑くなる。
暑くなると子供達の集中力がなくなり良いものはできない。そこで、チャビに影ができるよう屋根にひさしをお願いする。
チャビは快く引き受けてくれるが、ワークショップの始まる月曜に朝早く来て、ひさしとネットを設置するという。
と言うことは、月曜には設置は無理で、火曜に何とかできれば上出来。という私の解釈が成り立つ。
こちらに来て1ヶ月、もうこの辺の読みができなければ、ウソである。
当日、ニコニコ顔でチャビが私のところにやってきて、ひさしが出来たから見に来てくれ、と言う。
ジョアナ、アルバそして私の3人で見に行くことにする。2m程の垂木を4本屋根から出し、その上に2m程の黒いビニール布をかぶせ、それを強力なクリップで止めてある。なかなか良くできているように見える。
その時、下からゆっくり風が舞い上がり、黒い布が静かに波を打ったかと思うと、“ウン、、ポッキトー、、、(スペイン語でほんの少しという意味、、、すんませんシャレにもなれへん、、、、、けどなんかこんなかんじ)”
垂木は音をたて2本折れ、下に落ちる。
黒い布は我々の頭上を気持ちよくたなびく。4人は口があいたまま言葉が出ない。
上を見上げたまましばらく沈黙がつづく、、、、チャビが肩を上げながら両手を広げ完敗のサイン、、、、まだ沈黙が
つづく、、、、、、、。
翌日、ひさしの素材を木から鉄へと変更する。24日まで展示していた巨大ガラス板を止めるための鉄材がそのままの状態で置いてある。
長さも強度も完璧。ありがたくひさしになって戴く。
やっとの思いで完成を見たひさしであるが、今度は、太陽の傾きを計算に入れていない事に気がつく。
午前10時30分の太陽はまだまだ東にあり、頭上のひさしが作る影は西の方角へ逃げている。そのため、影は全体の6割程しかできていない。これは、完全に私のミス。
チャビにひさしの移動をお願いする。結局、この日もネット張りが完全にはできず、ワークショップ3日目にしてようやく待望の空絵が出来るようになる。
ワークショップ参加者21名は、年令にバラつきがあり、馴染むのに時間がかかる。そのため、2日間程度の慣らしの時間があったほうがかえって順調にいくかもしれない。いずれにせよこのツナ渡りはしばらく続きそうである。


